琴古流尺八の誕生

  • 尺八の歴史
  • 平成28年 4月5日 (火) に投稿

 元文の頃、一月寺と鈴法寺の両本山に黒沢琴古(黒田藩士)という尺八の名手が指南役を勤め、諸国の普化寺を行脚し尺八を指南しました。黒澤琴古は三代まで続きましたが、その間に古来から伝わる吹禅古曲36曲を収集整理して各地の普化寺に教授してこれを琴古流本曲と名付けました。
 この本曲となるものが普化宗の真諦を表現し、悲哀や消沈を禁じて荘厳雄大で格調高く、他の音曲の追従を許さないものであります。
 世が太平になった安永の頃から虚無僧の質も大分低下して悪事を働くものもあり、特に京都の明暗寺を中心とする関西方面では、幕末の頃、尺八と三味線などと合奏する者も出てきて、かって、表は僧の姿、内には武士の魂を誇りとした虚無僧の綱紀も次第に乱れ、幕府は厳しい布達を出すなどして取り締まりました。関東両本山(一月寺と鈴法寺)を中心とする関東、東北は琴古の門人が殆んどで、綱紀も比較的確立されていました。